ウサギは寂しいと死んじゃうんだよ?

という言葉、聞いたことありますか?
僕は直接聞いたことはありません。しかし、いつかドラマで見た記憶ならあります。
確か、

別れ話のすえ、男は立ち去ろうとする。その後姿へ、涙目の女が冒頭の台詞を叫ぶ。
立ち止まり、振り返る男。

といったシチュエーションだったと思います。
この言葉で彼女が伝えたいことは明らかです。つまり、
私はウサギよ!
ということです。そんなことがわからないような男は、高野豆腐の角に頭をぶつけて死んじゃえばいいんです。つまり、

  • ウサギは寂しいと死んでしまう
  • 私はウサギである
  • したがって、私は寂しいと死んでしまう

という、三段論法が成り立ち、男に翻意を促している、というわけです。別れ話、という切迫した状況の中、このような詩的な表現を思いつき、男の心へ訴えかける彼女の機転には脱帽するほかありません。
しかし、しかしです。この台詞には重大な欠点があります。それは、ウサギは寂しくても死なないということです。
それは、我が家のネザーランドドワーフ(3歳、♀)が証明してくれます。彼女はいまだに同じウサギ目の個体にすら出会ったことがなく、しかも去年から飼い主である姉が彼女を置いたまま家を出てしまったにもかかわらず、今日も元気にカーペットの上を走り回り、我が家のソファの角をかじっています。
しつこいようですが、寂しくてもウサギは死なないんです。
結局、三段論法の一番目の仮定が成り立たなくなり、彼女の論理はもろくもついえることとなってしまうわけです。


しかし、それでは彼女は自分の気持ちをどのように表現すればよかったのでしょうか?
寂しいと死んでしまう動物なんて本当にいるんでしょうか?
今日、僕は農学部の授業を聞いていて、そういう動物がいる、ということを初めて知りました。
本当に自然界の生物の多様性には驚かされます。くどいようですが、本当に一人だけでは生きていけず、死んでしまう動物がいるらしいんです。



それは、チャドクガです。
彼らは、幼虫時代、常にお互いの肌*1を触れ合わせていないと落ち着きません。
不幸にも仲間とはぐれ、一人きりになってしまったチャドクガは、けなげにも、餌には目もくれず、何も食べずに仲間を捜し求め続けます。
そして、見つからなければそのまま餓死してしまうというのです。
彼らこそ、寂しくて死んじゃう動物の代表と言えるでしょう。
よって、ドラマでの別れ話で女性はこう叫ぶのが、生物学的に正しい台詞といえます。

チャドクガは、寂しいと死んじゃうんだよ?!」
そして、その真意は、私はチャドクガよ!!*2と叫んでるのと同じなんです。
それがわからないような男は、がんもどきの角に頭をぶつけて死んじゃえばいい、と僕は思います。

*1:ていうか、毛虫なので正確にはお互いの毛。

*2:チャドクガには毒があるので、男性に向かってこう訴えるのは別の意味に取られてしまうかもしれません。気をつけてください。